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予言者・出口王仁三郎 新聞で世界の危機を警告

 先回ふれたように、新聞を発行することで、一教団の宗教教祖である出口王仁三郎は何を訴えようとしたのだろうか。

 教団の宣伝とすればこれほど割に合わないものはない。人件費や紙、印刷などの経費が膨大にかかり、到底企業として利益を重視する事業としては経営を黒字に維持することは不可能。

 それに毎日発行するほど教団のニュースがあるわけではないだろう。

 あったとしても、信徒数以上の読者を獲得できるかどうか難しい。それほど一宗教団体の動向に関心を持つような一般人もいないだろう。

 一般人の関心は、どうしても世相の事件や政治、そして自分の生活に直結する経済情報、物価や商品の紹介、健康問題など、実利的なものなどに限られてくる。

 それは新聞の前身である江戸時代の瓦版などをみれば、どうしても三面記事や事件、要するに現在の週刊誌のようなのぞき見趣味を掻き立てるものが中心であったことからも理解できることである。

 また、新聞ジャーナリズム的なものとして瓦版から発展した明治時代のイエロージャーナリズム的な新聞は反政府などの政治的なイデオロギーの道具になっていた面もある。

 新聞などのマスメディアが現在のような客観報道を謳うようになったのは、国民国家という市民社会の成熟、そして、第二次世界大戦の敗戦から来る民主主義的な風潮によって、自由な立場と政府と適宜な距離を持ち、そして、事実を報道するというマスメディアの成熟があったからである。

 といっても、この自由な報道というのは、その真偽を裏付ける証拠や根拠を常に追求するという抑制的な機能が働かなければ、客観的な名を借りた主観報道という悪しき啓蒙思想の温床にもなっている。

 現在、インターネットの世界を覆っている事実報道と、それ以上のフェイクニュースの蔓延は、このようなマスメディアの持つ危うい立場を浮き彫りにしているといっていい。

 しかも、事実と虚偽の入り乱れた情報がばらまかれやすいのがネットの世界であり、個人が何の抑制もされずに(もちろん、サイトの主催者側の検閲という機能はあるけれど)、垂れ流しされる現状は世界的な情報戦争(第三次世界大戦といってもいいかもしれない)でもある。

 実際に、共産主義国家などの全体主義国家によるマスコメディアの管理と意図的な情報操作は、見えない情報という兵器による戦争である。

マスメディアによって世界情勢が動かされれば、まさに戦争が政治の延長であると喝破したドイツのプロイセンの将軍・クラウゼヴィッツの言葉にならえば、情報もまた政治の延長の戦争ということができよう。

 現在は、情報を制する者が政治でも経済でもその他の分野でも勝者になるといってもいい。

 そのような第四の権力である新聞にいち早く目をつけた出口王仁三郎は、そのマスメディアの持つ威力、知らないうちに人々の感情をも揺り動かす政治的な効用と熟知していたのだろう。

 ただし、新聞の効用、その威力を知っていても、それをどのように使い、どのように一般大衆に浸透させていくか、という戦略まで考えていたとは思われない面がある。

 要するに事業としてはとらえていなかった。

 また、現在のような大衆へ事実を伝えるといったマスメディアの伝達、啓蒙といった面はなかったと思う。

 要するに、宗教的な使命感によって、神からの警告を訴える、その宗教的信念から手を出したのではないか。

 王仁三郎は、未来の出来事を数多く予言し、その内容を知れば(ここでは詳細を述べることをしないが)まさに巨人ともいうべき存在である。

 そのような王仁三郎が新聞事業に乗り出した背景には、やはり宗教家としての信念、日本の危機をいかにして越えるかという大本における社会の世直し、警告を一番伝えることのできる形式、器が新聞であったのではないか。

 その意味では、王仁三郎が現在、生きていたら、新聞とともにネットのユーチューブなどで発信していたことも十分に考えられるのである。

 要するに、どのような手段であっても、それが一般の人々に伝えられるようなものになればよかったのだろう。

 だからこそ、王仁三郎の新聞事業というか試みは最終的には挫折してしまった。

 実際、新聞は宣伝あるいは教団の人事や方針のお知らせ、信徒の教育、イベントなどの告知、活動報告などが紙面を埋めているものとなった。


 何しろ、身内だけの信徒に読ませるだけならばいいが、宗教団体に関心を持たない一般に読ませるためには世俗的な煽情的ともいえる記事、面白おかしく読ませるための工夫、読み物などの内容がなければならない。

 そうした面はあまり重視されず、大本が筆先神事で訴えていた、現実世界と霊界を含めた三千世界の大掃除ともいえる立て直しと立て替えの警告を世に知らしめるということに主眼が置かれた。

そうであれば、たとえ無料で配っても、信徒外に読まれるかどうか、と考えればそれはあまり望めないだろう。

信徒の教育や啓蒙だとすれば、毎日出さなければならない新聞よりも、少なくとも雑誌形態の方が無難である。

 ならば、なぜ王仁三郎は新聞にこだわったのか。

 おそらく、王仁三郎の目は、教団を超えて国家、そして国家を超えた世界を目指していたので、毎日直接に人々に配られる新聞による社会啓蒙、改革、教化啓蒙が目標だったのだろう。

 だが、この先見的な目論見は挫折したが、その目指した世界平和へのヴィジョンは今でも教えられることが多い。また、機会があればそれを論じてみたい。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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