かつて韓国の田舎を旅していた時、通訳をしてくれた日本人留学生が友人を紹介してくれたことがある。
その友人は、学生ながら親が経済的に成功していたために、スポーツカーを所有していて、地方都市の近郊の高速道路を走りながら、いろいろな場所を案内してくれた。
身に着けている時計やアクセサリー、着ているものも高級品のようだったし、あまりセレブな階級と付き合っていなかった私はいささか窮屈な思いをしていた。
それだけだったら、旅の一シーンとして忘却のかなたになっただろうが、二つの印象的なエピソードで強く記憶に残った。
一つは、道路で、バスとすれ違う事故に遭遇したことである。
たちまち、車を停車し、バスの運転手と大きな声で怒鳴り声をしてケンカを始めたのだが、それが延々と続き終わらない。
バスの乗客はやがて手配された別のバスに乗り換えて去ったが、通訳の友人とバスの運転手はそれでも怒鳴りあいをし続け、しまいにはどちらかがギブアップするまで終わらないのではないかと思ったほど。
もちろん、終わったからこそこうして書くことができるのだが、印象的だったのは、話し合いが終わり、和解した時、バスの運転手が急に頭を下げてペコペコして謝っていたことである。
どんな事情によって、そうしたのかわからないが、その構図はどこか切ないものがあって忘れられない。
もう一つは、その通訳の友人が、ある夕方、私の泊っているホテルの部屋で、いかにも秘密めいた話をするように、通訳の留学生と話をして笑っていたシーンである。
不思議に思った私が何の話だろうと思って聞くと、
「あまり知らない方がいいですよ」という。
そういわれれば、気にならない人はいないだろう。
「友人の家は代々薬局をやっていたのですが、そのクスリの中でも秘中のクスリがあるんです」
「そのクスリはものすごい効果があって評判なのですが、作り方がちょっと人にはばかるものなんです」
いかにも悪だくみをするような表情だったので、私は大麻や麻薬のことを連想したが、聞いてみると、そうではなかった。
「そのクスリの材料になるのは、実は便所なんですよ。それも廃棄されたずっと古い家の便所です。数十年、あるいはもっと数百年使われなくなった便所の下を掘り起こして、その土をクスリにするんです。しかも、これがかなり売れるんですよ」
にわかに信じがたい話だったので、話半分に聞いていたが、冗談で言っているようではなかった。
韓国の韓方薬には、そんなクスリがあるのだろうか、いつまでも気になっていたが、どうやらそうしたクスリは存在するらしい。
クスリの原材料が便所の土というと、どこか怪しげな印象を受けるが、人間の排泄する尿を健康法に取り入れたりする例もあるから、一概に否定することもできない。
また、人体の一部である人の肝をクスリにしていた例もある。
江戸時代の首斬り役だった山田浅右衛門の家では、罪人の肝を丸薬にして売り出していたという。
それがかなりの収入になっていたのだが、明治時代になってから禁止されたので、生活が困窮したという話だ。
汚い話のようだが、考えてみれば、人糞はかつて野菜や作物に栄養を与える肥料として珍重されてきた。
今では人工肥料が中心になっているが、江戸時代、江戸近郊の農家の人々は、定期的に武家屋敷や商家、長屋などに赴いて人糞を汲み取りして作物の肥料としていたことはよく知られている。
もちろん、タダではなく、その対価として金を払ったり、季節ごとに野菜を届けたりという持ちつ持たれつの関係で、長屋の大家などはこの収入もかなりなものがあった。
人糞というのは、食べたもののカスでもあるから、もちろん、食生活がその品質を左右したことはいうまでもない。
それによると、人糞として最上のものは、うまいものを食っている大名屋敷で、次に町民の長屋、そして最低なものが商家だったという。
金もうけをしている商家が最低なのは、もちろん、そこで生活している人々の食生活が貧しかったというか、ケチっていたからである。
時代劇でも、よく商家の丁稚や小僧が一汁一菜で飯を口にかき込んでいるシーンがあるが、確かに栄養不足ではあっただろう。
おのずと肥料としての評価が低く、買い取りの値段も安かったようだ。
私の青少年時代は、この人糞が肥料として使われていたために、都市の郊外の畑などには、必ず肥溜めがあって、かなりあたりに香ばしい匂いを放っていた。
肥溜めにしているのは、人糞のままでは肥料にならないので、自然発酵させるためである。
外で遊んでいると、知らないうちに、この肥溜めに落ちて、大変な思いをしたという人もいるだろう。
人糞が使われなくなったのは、清潔志向、回虫や疫病の原因となる衛生上の問題があるからだ。
とはいえ、人工肥料も化学肥料であるために、環境汚染や人体への影響が心配されているので、有機農耕などが健康志向の栽培も盛んになっている。
現在、沈黙の大衆だった農家が、農協などの媒体を経ずに直接ユーチューブなどのインターネットで自分たちの農業の姿を発信しているケースをよく見かけるようになった。
中には、まったく肥料を使わない、草取りもしない、ただ放っておいて(タネを植える前には土を耕すプロセスはある)、作物を収穫するというユーチューブもあった。
その農法はただ、自然のままに野菜や稲の自己治癒力、成長力を見守るというだけではないという。
農業の化学肥料農耕による肥料作成の労力や農耕機械を使うことによる莫大な経済的消費、資源の枯渇などの環境問題にも好影響を与えると主張していたのが印象的だったことを覚えている。
いずれにしても、このままいけば、地球人口の増加によって、必ず食糧問題が起こって来ることは間違いない。
その時になって、自然や地球環境にやさしい人糞肥料の再評価が必要になる時が来るかもしれない。
(フリーライター・福嶋由紀夫)