このところ、どういうわけか、活字の本を読むのがしんどくなってきた。
ページをめくりながら、小さな活字を眼で追っていくと、眼がチカチカして集中できない状態だ。
なので、今まで一週間に5,6冊を読んできたペースが落ち、今では数冊がせいぜいで。ひどい時には一冊も完読できないことがある。
仕事柄、本の紹介などをするので、ある程度は速読して読むのだが、あまり頭に入ってこないので、長時間の読書量が落ちてしまった。
高齢者となって、視力が衰え、老眼や乱視、近視などの症状があるせいだろうか、と思っていたが、どうやら老化現象のせいばかりではないようだ。
というのも、パソコンの画面で読む電子書籍、特に小説投稿サイトの「小説家になろう」や「カクヨム」を拾い読みしているのは、それほど苦にはならないからだ。
これらのサイトは、作家の予備軍だけではなく、趣味として自分の書いたものを他人に読んでもらいたい、あわよくば出版社から声がかかって本を出版して、夢の印税生活を、という皮算用でシコシコと書いている人も少なくない。
もちろん、サイトに小説を連載していても、それが出版社の眼に止まり、商業出版の道が開かれるというのは、ほんのごく一部であり、だいたいは自分の書きたいように書き散らして、飽きればそのまま放置というケースもある。
膨大な小説投稿サイトの中で、出版社に眼をつけられるのは、もちろん、その小説の支持者、愛読者の登録数やポイントによって上位を占めなければならない。
ただ、一定数の読者がいると分かれば、少なくとも、出版化したとき、売れ行きが計算できるので、ネット出身の作家はそれこそ雨後のタケノコのように出ている。
ベストセラーになっているのも少なくないが、それによって作家として生きられるかどうかは微妙なところがある。
売れきり後免ではないが、一定数売れてしまえば、それ以上の数は難しいので、打ち切りにてしまう場合が多いようだ。
要するに、単体で売るには難しいので、シリーズ化して、人気が無くなればそのまま未練なく打ち切りといった形態になっている。
このネットの投稿小説で、人気のジャンルになっているのが、「異世界転生」ものである(といっても、同じテーマで無数の作品が書かれているので、やや勢いは翳りがあるかもしれない)。
「異世界転生」とは、主人公が文字通り交通事故で死んだり、殺されたり、あるいは生きたままゲームの中に取り込まれたりなどを経て、現在の地球とは別の世界、それも剣と魔法が息づくヨーロッパ中世のような世界が舞台となっている。
主人公の設定はいろいろあるのだが、おおよそは現実世界での底辺を形作っているイジメの被害者や引きこもり生活者やブラック企業に勤めているサラリーマンなどになっていて、彼らが異世界で、一種のスーパーヒーローになったり(勇者という設定も多い)して、世界滅亡の危機を救ったり、現実とは反対に異性にモテモテのハーレムを形成したり、と一種の夢や願望が実現する趣向が多い。
要するに、現実世界では負け犬や被害者であっても、異世界ではヒーローになって見返すといった日頃の不満やストレス解消、カタルシスなどが駄々洩れとなっている都合のいいエンターテインメント小説である。
といっても、自己満足だけで終わってしまえば、本人は満足かもしれないが、読者は離れていくので、そのあたりは小説としての工夫や趣向を凝らしている。
なので、人気上位作品は商業出版にも劣らない一定のクオリティーはあるといってもいいかもしれない。
とはいえ、紙の出版からデビューした多くの障害を潜り抜けて来た新人賞受賞作家に比べると、いささか描写や文章にアラやストーリー破綻している面があったりするのも確かである。
こうしたネット小説における「異世界転生」のブームは何を意味するのだろうか?
その傾向には、どこか時代の深層にある社会的な病巣や深層心理が働いていることは間違いない。
今生きている人生は本物ではない、別な世界でこそ自分の本領が発揮される、要するに妄想の世界、中二病といった精神的な願望があって、そこで無限大に自己を肯定してくれる世界を構築していく根拠があるのかもしれない。
いずれにしても、こうした願望を満たしてくれるものは、マンガやアニメにも通じる仮想現実の世界になるが、それだけ現実社会において生きにくい、適応障害といった抑圧的なものを感じているからこそのイマジネーションへの逃避という側面がある。
そして、このような思いを抱かせる深層心理には、現実世界とはまた別な世界、死後の世界、霊界というものの存在を無意識に感じているからではないか。
時代のブームを彩る作品や芸術には、ある意味では、未来の予見や予言といった性質があるといってもいい。
また、様々な文明の発達が、物質的なものから精神的な価値観への転換を迎えているといってもいいかもしれない。
人はどこから来たのか。
人は何のために生きるのか。
そして、どこへ行くのか。
こうした人類を悩ましてきた問題への本質的な問いかけ、それが「異世界転生」というジャンルの流行にも関わっていると言えまいか。
そして、死は人生の終わりではない。
その後の人生があり、それは霊界の世界である。
その意味では、「異世界転生」というのは、象徴的なテーマである。
人は死んで別な世界に生まれ変わる、というのは、単に小説だけのテーマではなく、そこに生よと何か、生きる目的は何か、そして死んだらどうなるのか、という問題への問いかけではないだろうか。
考えてみれば、アニメの「鬼滅の刃」などのヒットにしても、こうした人類の深層心理を反映して、人とは何のために生きるのか、を改めて突きつけるものと考えることができるのである。
世相を表した表現形式は、それが小説であれ、詩であれ、マンガであれ、芸術であれ、ネット小説であれ、人類の深層心理にどこかリンクしているはずである。
その意味で、「異世界転生」小説の膨大な世界は、人類の歴史の無意識な転換点、それを先取りする現象なのかもしれない。
(フリーライター・福嶋由紀夫)