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統一が来る前に

 私達は幼い頃から大小の集まりがあるたびに平和統一を願う心で『私達の願い』を歌ってきた。しかし、統一が来たら我が民族は一つになって、自由と平和と幸福の人生を生きられるのだろうか? 南北統一した後に吸収統一の後遺症があるのだとしたら今のままがいいのではないだろうか……。

オンラインの平統通信大学に参加する時

 平和統一聯合では、有識者と市民達が参加する通信大学講座(以下、平統通信大学)を行っている。
 最近、第18代統一部次官であった洪良浩先生の講義があり、もう一度統一について考える機会となった。洪先生は「分断国の統一事例を通して見た韓半島統一への示唆点・教訓」という題目で、イエメンとベトナム、そしてドイツが統一以後どのような位置にあるのか説明された。統一後に必ず良い結果が出るわけではないことを見ると、果たして私達の統一後はどうなるだろうか。私達の生活を隣接国家の人々と共有して新しい世界になることができる方案を検討しなければならないだろう。このような点から平統通信大学に参加していただければ、未来の世界がもつべき理想世界のビジョンを互いに分かち合うことのできる空間になると信じている。

世界平和のために“為に生きる”というスローガンを叫ぶ日が来ることを首を長くして待っている。

自然の摂理のように統一が来なければ

 「操り三番叟」「たが屋の金太」の公演があるということで国立劇場の大劇場で観覧してきた。古語が多く、理解するのが難しい部分もあった。「たが屋の金太」では、村の真ん中にある木と井戸端から話が始まる。それを見て、故郷を思い出した。劇中では、平和に過ごしている中で様々な事が起こるが、自然の営みによって平和を維持できる場面があり、私達に示唆することが多い。統一は私達の生活の中でなされると信じられる。「北朝鮮の住民達も南韓TVをリアルタイムに見ることができる」というユーチューバーの放送によると、韓国の有名なペク・チョンウォン料理教室の放送を北朝鮮の婦人達がたくさん見ているという。統一は料理教室と芸術で体制を超えて人間の欲求を解決して、自由と平和と幸福の道を提示してくれるのかもしれない。

力よりは水を探さなければ
(エゼキエル書47章1-12、ヨハネの黙示録22章)

 自然に統一が来るためには、水の力を私達は知らないといけない。水は高い所から流れて、どこにでも流れていき、染み込んでもいく。水が至る所はすべてのものが蘇生する。このような流れを考えてみると、国際社会において各国の立場があるのが現実だ。
 例えば、2005年9月19日共同声明が発表されるまでの外交部の苦労を忘れてはならない。北朝鮮の核問題解決方案について各国が最優先する内容が少し違うように思う。中国は北朝鮮の安定を最優先に、北朝鮮は軽水炉問題と体制の安定を、韓国は統一過程で安定的韓半島管理に、アメリカは北朝鮮の核と人権を、日本は拉致問題解決に重きを置いた結果、核問題は今まで未解決のまま頭の痛い問題として残っている。
 文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻が1990年4月にゴルバチョフ大統領に会い、祖国の平和統一を念願した。文総裁がゴルバチョフ大統領に腕時計を渡し、「孤独な時間が来たらこの腕時計を見て、改革と開放の道に邁進してほしい」と激励された。このように名もなく民間次元で活動していく流れが、南北統一とともに世界平和の枠をつくる糸口になると信じている。

民衆が願う希望の世界

 為政者が国民の安定のためにコロナの対策と不安感を払拭することが必要なのではないのか。愛天愛民愛国を強調しようとするなら必要な条件が満たされ、周辺国家と良い関係を築くという新しい価値観を定立することが、統一が来る前の前提条件になるのではないかという思いに駆られる理由は何だろうか。

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