「親孝行」というと、一昔前の概念と思われてしまう面もあるが、現在でも通用する倫理道徳である。
とはいえ、その中身はずいぶん変わり、江戸時代から明治時代、そして敗戦を通じて、絶対的な概念ではなくなってしまった。
かつては、親孝行というのは絶対的な倫理道徳の基本であり、親に反抗することはもちろん、口答えや命令には逆らえなかった。
その背景にあるのは、儒教の基本的な徳目であり、それを提唱したのは孔子の家族観や国家観、政治の要諦といった精神的な規範が背景にあったからだろう。
孔子の生きた時代が、そうした人倫道徳がある意味では乱れていて、それを正すことが家族や氏族、そしてそれが発展した国家を正し、聖人の世のような平和と繁栄を生み出すということが信じられていたからだった。
儒教の基本にある王道政治は、こうした家族観を基本に据えていたために、政治という祭りごとよりも、家族という絆の方が重要だった。
国家の戦争で危うい時であっても、その前線にいた将軍が親の死を悼むためにリタイアして、喪に服すということがあったのも、こうした親孝行の精神があったからであることは言うまでもない。
この時、その将軍が不在になることによって、戦争に敗れて国家自体が消滅したら、どうなるのか、という批判は確かに合理的である。
将軍の喪に服すという行為は親孝行であっても、国家という次元で見れば不忠きわまりないと批判することもできる。
が、儒教が家族倫理を中心にしている限り、国家は主君との一代の契約関係というものがあり、家族は先祖からずっと続く永続的なものと考えれば、親の死に孝行を尽くすというのは、儒教倫理からすれば合理的なのである。
それゆえに、儒教的観点からは、人間は生きていようが死んでいようが、悪人は断罪しなければならないという刑罰観になり、墓を暴いてその罪を問い、骨を切るといった行為も、その観点からみれば不思議ではない。
そこには、死んだら悪人もその罪を問わない、という日本人的な考えは通用しない。
その意味では、過去となったもの(死んだ悪人や解決していない様々な問題)も、過去として忘れていく精神は、儒教的人間観からは通用しないと言えるだろう。
儒教が非合理と見えてしまう事例はまだある。
たとえば、論語などには、親への無条件の服従というのが正しいのか、という質問がなされている。
孔子の時代であっても、無条件で服従というのは非合理ではないのか、というのが当時でもあったのだろう。
勝又基著『親孝行の日本史』(中公新書)によれば、こうした疑問を抱いた弟子の曽子が、「子が父の命令に従うだけで、孝と言えるでしょうか」という質問をしている(「孝経」)。
これに対して、孔子は天子には7人の諫臣がいたこと、諸侯や大夫には数人のいさめてくれる人がいたことなどを挙げて、そうした存在がいれば、国家や家を失うことがないと例を挙げた。
そして、その段階を国家の君主などから友人の段階にまで下げ、最後に過ちがある父においても、そのような諫めてくれる存在がいれば誤らないとした。
「だから父にその過ちがあったならば、子はどんなことがあっても父を諫めなければならない」
しかし、どんなに諫めても、それを改めなかったら、どうだろうか。
『親孝行の日本史』では、論語にあった事例を挙げている。
それは、諸侯の葉公(しょうこう)が孔子に自慢した話である。
「私の所に正直者がいます。その父が羊を盗んで、子がこれを証言しました」
すると、孔子は次のように述べたという。
「私のところの正直者はこれと異なります。父は子のために隠し、子は父のために隠す。正直さとはこの中に在るのです」
これはよく考えれば、非合理というか、親子の情のために犯罪をかばう、ということにもなりかねない話である。
かつて私が読んだこの部分に関わる話では、子が親の犯罪を何度も諫めて、それでも親が悔い改めなかったら、親を告発するのではなく、泣いて親に従うというものだった記憶がある。
これもまた法律よりも、家族関係を重視するという、国家からみれば、法律からみれば明らかに犯罪であり、非合理であり、反道徳な行為と見えてしまう。
このあたりは、親孝行をどう考えるか、といった次元を離れてしまう問題だが、基本的には極端な例ではあるけれど、国家と対峙してまでも、それ以上に親子関係、血統というものが重要であるということだろう。
背景には、先祖代々を尊ぶ精神文化、先祖崇拝が横たわっている。
明らかに、葉公に対する孔子の答えは、葉公の親子関係を破壊する行為に対しての反論ではあっても、反国家的あるいは反法律的であれ、と推奨しているわけではない。
国家の秩序の重要性を孔子も知っていたはずだから、これは親子の倫理を破壊するような行為を正直者と呼ぶことはできないと述べていると受け止めた方がいい。
ただ、言えることは孔子の述べている孝行の精神は、その後、儒教が国家の規範となり制度化された思想としての儒教とは違っていることは間違いない。
制度化された儒教は、個人を鋳型にはめ込み、国家の維持のための体制を生み出し、それに違反することは罰せられるという制度となった。
そのために、正義と徳や倫理を謳う儒教が、それに反するような反道徳的な行為、賄賂の横行や一族郎党が利権に群がるという構造を生み出し腐敗の温床となった。
これは孔子の願っていたものではない。
孔子の言う親孝行は、明らかに、親孝行を形だけのものではなく、そこに流れている情、愛情といったものを重視している。
愛情を軸とした家族関係を断ち切ることはできない、断ち切れば国家も空虚な体制、個人がその個性を発揮できない圧力体制(全体主義といってもいい)に屈して、独裁政治の温床となってしまうということである。
そして、その親子関係が理想的なものなれば、氏族へ反映し、国家に浸透し、やがて民族的な平和思想にまで発展する。
まさに、そうした利害関係のない無償の愛、家族愛、強いて言えば、真の愛によって真の平和が生まれるといっていいだろう。
(フリーライター・福嶋由紀夫)