11月10日、「北愛知ピースキングコリア歴史散策百済寺バスツアー」が行われ、18人が参加した。一行はまず、滋賀県の「鮎家の里」にて昼食を済ませた後、百済寺を視察。近くの多賀大社にも足を運んだ。この日は晴天に恵まれ、紅葉も美しく最高の一日となった。
百済寺住職の濱中亮明氏の説明では、百済寺は606年10月21日に聖徳太子と慧慈によって創建された近江最古級寺院ということだった。
<濱中住職とともに>
濱中住職によれば、その位置は北緯35.1度線上に存在し、この線上には、西に向かって、太郎坊、比叡山、次郎坊(鞍馬山)、百済(光州)があり、東に向かっては、荒子観音寺、熱田神宮、がほぼ同一線上に並ぶ。この偶然とも思える配置は、実は最近になって必然的・意図的な配置であることが明らかになった。つまり、日本に暦、天文、地理、方術を伝えた百済僧「観勒」が602年に来日し、百済寺の創建のための選地、方位等に大きく関与したことが解った。従って、百済人が若狭ルートで湖東滋賀地域に渡来・定着してゆく過程で、母国百済の光州と同一線上の近江に太郎坊を意識し、同じく、山城に次郎坊(鞍馬山)を意識し、同じく、鈴鹿山麓に百済寺を意識して設定した可能性が高い。そして、濱中住職はこの配置を名付けて「百済望郷線」と呼んでいた。
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