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高齢で寝込んで人生を振り返る

 かつて大学を卒業間近になって、目指していたジャーナリズムの世界へ足を踏み入れるために、新聞社や出版社へアプローチしてほとんど全滅してしまった。

 その時の友人の一人は、見事に老舗の中堅の出版社に入社したのだが、そのときの入社試験の論文に、小話を作る問題が出たそうだ。

 まったく関係のない三つの名詞から、それをつなげて一つのストーリーを作るというもので、友人は苦心して物語を作ったそうだが、同期の合格組の中には、まったく奇想天外なスパイ物語を作り上げて選考した編集者をうならせたという。

 といっても、これも聞いた話なので、実際のところはわからない。

 というのも、この友人は「作文はあんまり関係ない。すべてはコネだと思う」と語っていたからだった。

 これは友人の意識的な謙遜かもしれないが、当時、ことごとく門残払いされていた私は、そうかコネかと少し自分を慰めていたことを思い出す。

 私は当時、引きこもりの人見知りで、交友関係も狭かったし、社会的常識もなかったので、そうしたコネづくりは性格的にもまったくできなかった。

 友人は名門の私大・早稲田でゼミやその他のコネづくりにも熱心だったので、半分はそうかもしれないが、半分は実力だったと今なら推測できる。

 この友人はやがて主婦向け雑誌に配属され、伝統的な文化、茶道や華道の先生の本を作る担当になってそれなりに活躍するようになったからだ。

 また奇想天外な話を作り上げたもう一人も、その出版社では新しい挑戦となるティーン向けの雑誌を創刊し、その編集長として敏腕をふるうようになっている。

 実はこの奇想天外な話を作った男は、友人ではないが、同じ私立大学で同じゼミに所属していたから顔見知りではあった。

 もともと、親戚関係に出版社関係者が多かったので、最初から「コネ」で入社が内定していると豪語していたことも後から知ったほど。

 ただし、入社はできても、その後活躍できるかどうかは、それなりの実力や発想力が問われることは言うまでもない。

 そうした事例を見ていると、やはり「コネ」といっても、それなりに潜在的な能力をもっていたとしか思えない。

 それに比べると、私はたとえ出版社に合格したとしても、編集者としてはあまり力を発揮できていない落伍者になっていた気がする。

 編集者にもいろいろいるだろうが、基本的にほかの人には思いつかないような発想やアイデアがなければ、その世界で生きていくのは難しいからである。

 このところ、過去のことや大学時代のことを思い出すのは、実は最近、大病とまではいかないが、身体の調子が悪くなって寝込んでいたからだろう。

 熱中症か夏風邪かわからないが、ある日、悪寒と吐き気と身体の不調で、起き上がれなくなってしまった。

食欲もなくなり、ただ水分と果物などだけを摂取しながら、いったいこの病は何だろう、と考え込んだ。

若い時代ならば、こうした体調の不良は、それほど深刻にはならない。

体力があるので、この危機的状況が変われば、元の状態に戻ることができるという、確信がある。

だから、若い時には寝込んでいてもそれほど心配はしていなかった。

というか、そうした病気から死を意識するというのはあまりないといっていい。

死への恐れはもちろんあるのだが、それは生命力によって、徐々に消えていくというか薄れていく。

その時代は、死というものは病気で亡くなることよりも、突然の事故や身体の急激な異変によって起こる異常事態、電線が突然ハサミなどで切り離されるような断絶のイメージがあったといえるかもしれない。

意識が切断されるのは、自分の意思ではどうにもできない。

そうした考えがあったのだろうと思う。

そして若さは、そうしたことを持続しながら考えていくことを拒否する自動的な働きがある。

いつの間にか、悲観的な考えが消え去り、未来というものへ目をむけるようになっているのである。

いずれにしても、若い時代と老年では、病気一つとっても、捉え方が変わって来るのは、そこに未来へのエネルギーが残っているかどうか、の違いと考える。

まだ未来が限りなく広がっている、と考えれば、前向きに事態を捉えられるが、残りのチャージされたエネルギーの分量が少ししかないと思えば、それが身体的な状況にも、精神的な思考にも影響を与えるのである。

病気というものを通して、今後のことを思い、過去を振り返るのは、やはり人生の岐路に立っているといことではないか。

私が病気をして大学時代の終わりの就職活動のことを思い出すのも、おそらく、その時期が人生においての転換期だったからではないかと思うからである。

人生の区切り、それは生き方や人生観の区切りでもある。

私は就職に失敗し、そこから自分自身の新しい生き方を探すようになった。

くよくよしていても仕方がない。

人生はなるようにしかならない。

そんな諦観にも似た人生観を抱くようになったのは、その時の経験からだろう。

当時の自分を知っている知人は、私が一種の運命論者のように「人生はなるようにしかならない」という言葉をよく言っていたと証言する。

最近、思うことは、自分の人生は、自分の意思と見えない天の意思によって切り開いていかなければならないということ。

病気になってみて気づいたことは、ただ受け身の運命論者ではいけない、たとえ高齢であっても自分の人生を前向きに生きなければならないということである。

(フリーライター・福嶋由紀夫)

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