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平昌以後、南北はどこにいくのか?

 

平昌以後、南北はどこにいくのか?

金源植 平和統一聯合中央本部事務総長

平昌オリンピックを契機として国際オリンピック委員会(IOC)の創設者であるピエール・ド・クーベルタンが「スポーツで世界平和を成せる」と叫んだ精神を考えてみる。オリンピックは「勝つことにあるのではなく参加することにある」という精神によって、競争者が互いに協力と連帯精神を生き返さなければならない。

聖火の起源

近代オリンピックの始まりである1896 年の第1 回アテナ(ギリシア)大会から1924 年の第8 回パリ(フランス)大会までは聖火はなかった。1928 年の第9 回アムステルダム(オランダ)大会から初めて聖火が灯されオリンピック競技場を照らしたが、聖火リレーのようなものはなかった。1936 年の第11 回ベルリン(ドイツ)大会の時には高い聖火台が準備され、ギリシャからベルリンまでの約3,000㎞のルートを走者によって聖火リレーする儀式が初めて挙行された。ベルリンオリンピックを開催するドイツは、ヒトラーによる統治とナチスの絶対権力を表すために聖火リレーと聖火台を作った。そしてギリシャからドイツまでの聖火リレーのルートが作られた背景には、第二次世界大戦勃発時、ドイツ軍の攻撃ルートを踏査する意図もあったという。

 

南北の不信

第23 回平昌オリンピックが開催されるにあたり、南北単一チームを形成した過程や北朝鮮側の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員会委員長、金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長、玄松月(ヒョン・ソンウォル)三池淵(サムジヨン)管弦楽団団長…などの人物が南側に来る過程で「平昌オリンピックなのか、平壌オリンピックなのか」という論争が終わることがなかった。

今回、単一チームを作り、人共旗(北朝鮮の国旗)と金正恩北朝鮮労働党委員長の写真を火刑にする出来事が起きる理由は何であろうか? それは南北の相互間に不信が根底に敷かれているからであると考える。
2003 年大邱・ユニバーシアード競技大会後に2005年寧辺(ニョンビョン)核施設の再稼働、2005 年仁川アジア陸上競技選手権大会後に2006 年テポドンミサイル発射。そして、2014 年高官の訪韓3 日後にNLL 侵犯があり、平昌オリンピック以後にICBM の3 月完成予測が予想される中で、世界の関心が高まっている。韓半島(朝鮮半島)は地球上で最後に残った分断国家であるので「体制と同胞」という二重性の痛みを通過している。
ところが、西ドイツ・東ドイツは1956 年コルチナ・ダンペッツオ(イタリア)冬季オリンピックを始めとして大会毎に単一チームとして参加したと言う。私たち南北は、このようなことを念願したのだろうか?

韓国に大物が訪ねる理由は?

北朝鮮高官層たちが平昌オリンピックに派遣された事に対して、私はこの上なく強い関心を寄せている。その理由は、北朝鮮の核問題がお互いの最大の関心事となっているからだ。アメリカは北朝鮮非核化の履行無しには、北朝鮮指導部に会わないだろう。だからと言って金正恩政権が1954 年から準備してきた核を放棄するとは思えない。南側に来た高官層の中では、金与正氏が一番の注目を受けた。その理由は、白頭血統が68 年ぶりにやって来たからである。「白頭血統」という単語はいつから使われるようになったのかと言うのも関心事となった。
北朝鮮は「金日成主席を偶像化」するために、韓民族を象徴する白頭山を抗日闘争した場所として聖域化し宣伝した。金正日政権が初期に少し使用した事が根拠となり、金正恩時代に至り白頭血統だと宣伝し、偶像化作業をしていると言う脱北者たちの証言もある。このような根拠で68 年ぶりに白頭血統だと自ら認める金与正氏の訪韓を理由に国内が騒々しかった。
金与正氏の訪韓の背景は、北朝鮮の対内外の情勢が難しく回っているために、オリンピックを通して突破したい意向があるからだと考えている。北朝鮮は平昌オリンピックを通して思想的内部結束をし、(韓国民)相手の心を買う役割をするためのものと見る。そして平昌オリンピックを通して文在寅大統領に親書を伝達し、間接的に北朝鮮とアメリカ間での水面下接触も狙っていたと推定される。しかしアメリカの対北圧迫政策は変わらずに、北が非核化するまで維持されるだろう。
トランプ大統領は、娘のイヴァンカ大統領補佐官を平昌に送ることで、大会を支持することに変わりがない意思を表明した。そして北核問題解決の為の対北圧迫は、大統領施政演説の際に北朝鮮の人権問題を掲げ、「松葉杖の脱北者」池成浩(チ・ソンホ)氏について言及した事と、ペンス副大統領の日本訪問、そして韓国での脱北者と共に天安艦の見学と対話をした事を通して、私たちはアメリカの意志を知ることができる。

 

彼らの成果と関係は?

金与正氏一行の韓国訪問で得た成果と言えば、金一家の偶像化と残忍な独裁者のイメージに対して、南側の国民の心を少しはほぐす事になったと言える。それにも係わらず南北が行ったり来たりしながら対話をしようとするなら、感性だけで通じるのではなく、実体的に変化が見えなくてはならない。非核化だけでなく人権問題も国際社会が納得しなくてはならない。
この時代は、昔のものに固執しながら生きられる世界ではない。そのためお互いが授け受けすることが必要である。今、アメリカが人権問題を持ち出してきた状況の中で、彼らが自らを浄化し国際社会が納得できる体制と為民生活をしなくてはならない。
そうしなければ、マカオBDA(2005 年)、中国の丹東銀行(2017 年)、ラトビアABLE(2018 年)のようにアメリカによって金融網から退出させられる。「非核化無しには対話はなされない」と言うアメリカの意志の表現であると考える。
アメリカは韓国の群山GM 撤収と、韓国に対する収入規制を強化している死文化された「貿易拡張法232 条」まで取り出してきた。韓国産鉄鋼製品に最大53%の高率関税を付与できる方案を検討中であるという。

平昌オリンピック以後の外交戦

北朝鮮が腹の中でどれだけ対話を渇望しているのかという証拠については、金与正氏が搭乗して来た飛行機からも見ることができる。高麗空港P-881 から金正恩氏専用機PRK-615 に乗って来た。6・15 宣言(2000 年6 月15 日)を想起させる。便名もこのように変更させた彼らであった。しかし、北もこのような感性的な接近形式が重要なのではなく、「非核化」というカードを出しておく実体外交がなくてはならない。現実的に不安全な中で統一を志向するためには、三軸(韓・米・日)による外交関係が第一に重要であると考える。
文大統領の南北関係の原則は、第一に韓米同盟が前提、第二に韓半島非核化、第三に南北問題の主導的解決、第四に北核の平和的解決、そして第五に北朝鮮の挑発に対する断固とした対応であるという。
文政権の原則を心情的に理解はできるが、統一は私たちの力と努力だけで出来ることではない。統一を幻想的に考え、国内では積弊清算という内容で進行されている現況は、日暮途遠(日は暮れたのに前途はまだ遠い)であるかもしれない。今こそ外交戦が必要であると考える。祖国統一以後まで考えると、韓・米・日同盟関係をより強固にし、東北アジア情勢をすべて掴まなくてはならないだろう。文大統領も南北首脳会談に対する質問を受け、「井戸からおこげを探す」ということわざを引用したのは(首脳会談)速度調節が必要であり、必ずアメリカと共に行かなくてはならない課題があるという逆説ではないだろうか! 筆者は以後の同盟外交を先行することが統一韓国を成すにおいて残された宿題であると信じる。

 

 

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