ハングルは、近世の韓国の朝鮮王朝の世宗大王が創成したことで有名だ。といっても、実際にその作業に従事したのは、知的なシンクタンクだった集賢殿に集まった学者たちであり、それを管轄し、ときには叱咤激励しながらグランドデザインをしたのが世宗大王。
大王と他の王様(朝鮮王朝は中国の明に対して臣下の礼を取っていたので「皇帝」から位が下がる「王」を名乗っていた)に比べて一段高い称号「大王」という諡号(おくりな)表現されるのは、このハングル創成や儒教的統治者としてのその王者としての風格(理想的な東洋的統治者)があったからでもある。
このハングル創成に関しては、世宗大王が創成するに至った動機に、当時の士大夫(知識人)が漢字を使っていたのに比べて、難しい漢字を学ぶ環境になかった無知な大衆にものを言える手段としてわかりやすい文字を提供しようというものがあった。
この上からの発想は、儒教の王道政治というのが背景にあるだろう。王者は、民衆を教え導くという政治思想が儒教にはあり、漢字という文化思想は、このある意味では、大衆を「知らしむべからず、拠らしむべし」という面があった。
大衆を教育するのではなく、自分たちが導いてやらなければならない、劣った存在であるという意識が背景にあった。だからこそ、大衆が自分たちの意見や考えを自由に述べることができるハングル文字は、統治者側の知識人たちにとっては排斥すべき存在だったのである。
ハングルが優れた言語として国家的な表現手段として認められるのは、近現代に至ってからであり、その言語の科学的な構造は、韓国のみならず、世界各国で採用されるようになったのは、大衆という学問も知識もない階層に向けて創成されたからである。知識人が漢字という枠組みに縛られるのに対し、大衆にはそうした知識や学問がないためにかえってハングルを受け入れることができたと言えよう。
ハングルの普及には、そうした合理的な理論と科学的な発想によって成立したため、誰でも学ぶことができる言語だったことが大きいのである。
日本で、ハングルに似たものといえば、仮名文字がある。これははるかに古い平安時代、主に朝廷に仕えた女性たちによって使われ始めた。具体的な発明者というのは知られていないが、おそらく女性たちが私的に使っていたものが便利で有用だったために、自然に広められたと見ていいだろう。
漢字はよく知られているように、画数が多く、文字によっては書くだけでも大変なものがある。それでは公式な文書ならばいいが、私的な日記や文書、手紙などでは時間と手間がかかる。ならば、漢字を簡略に表現できないか、となって自然発生的に女性たちによって使われたのではないか。
その意味では、ハングルのように大衆教化といった政治的な発想から生まれたものではない。下から生まれたものである。とはいっても、女官たちは大衆ではなく、知的なエリートたちであり、その意味では、大衆のような最下層の無知な階層から生まれたものではない。
その仮名文字が女官たちだけではなく、やがて漢字と肩を並べる表現手段として広まったのも、簡便なこと、漢字だけでは表現できない微妙な表現を仮名だと、自由に表現できる面、そして、仮名文字だけではなく、漢字と両用することで、男性にも使いやすかったことが普及することにつながったと言えるかもしれない。
その点では、日本の漢字と仮名文字を使った言語(日本語。カタカナも)は、女文字でもなく男文字でもない、中性的な、あるいは調和した言語(夫婦語)と言ってもいいだろう。
(フリーライター・福嶋由紀夫)