日本人は外国から自分たちがどう見られているのか、常に気にしているようだ。『菊と刀』という名著から、数多くの日本人論が翻訳されていて、ベストセラーになっている。
それだけ自分自身に自信があまりないのかもしれない。この背景には、明治時代の文明開化から常に西洋文明の後を追い、手本にして来たということがあるかもしれない。
確かに、一時は物まねとか猿まねというような表現で揶揄されていたことを思い出す。要するに、外からどう思われているのか、手本にしてまねて来たから、常に気になってしまう、それが日本人論ブームの根底となっているといっていい。
とはいえ、その日本が今や、技術やアニメなどの分野で、世界に文化や技術を発信しているのだから、隔世の感がする。そろそろ自国の文化に自信をもっていいはずだが、いまだに自信を持てないのは国民性といえるだろう。
日本の自信のなさに比べて、お隣の韓国の場合は、知るほどの情報もないが、日本よりも自信に満ち、他国を気にするような比較文化論などに関心はないだろうと思ったりする。
ただし、その韓国にしても、異常なほど日本の動向には関心があるようで、野球やサッカーなどでの日韓・韓日戦では、異常なほど盛り上がる。とはいえ、日本以外では、そういうこともあまりないようだから、日本のように海外の韓国人論に特異なほど敏感に関心を持つムードがあると思えない。
では、韓国はそういう海外からの評価というものに、いつも無関心だったのだろうか、というとそうでもないだろう。
韓国が自国の評価について、海外へ目を向けていた時期は確かにある。それは間違いなく、李氏朝鮮王朝時代である。
当時、儒教を国是としていたので、その宗主国に当たる中国の動向には常に関心を持たずにはいられなかった。朝鮮という国号自体も、中国の明に候補の名前のうちから選んでもらったものである。
その朝鮮王朝の初期の政治家で文人の成俔(1439~1504)は、五代にわたる王のもとに仕えて顕官を歴任したが、朝鮮の音楽を集大成した『楽学規範』の編纂者としても著名である。この成俔には『慵斎叢話』(作品社)という著書があり、さまざまな人物の噂、伝説、怪奇譚などエピソードを綴っている。
その中に、「わが朝鮮人と中国人の比較」という項目がある。具体的に比較しているというよりも、中国を賛美し、自国をそれに比べて劣っているという論点なのだが、やはりそこには儒教の本国である中国への配慮が背景にある。
例えば、「わが国の人はずるがしこく、疑い深く、いつも他人を信じない。そのために、他人もまた自分を信じてくれない」と述べ、それに対して中国人は「純厚で、疑い深くない」としている。そして、「わが国の人は、ほんの小さな事であっても、軽率かつ性急に騒ぎ立てる。そのために、人が多くても、物ごとを成就することができない」とまで貶めている。
これは今でも古びてはいない韓国人論である。さすがに、五代もの王様に仕えただけあって、鋭い識見といっていい。何しろ仕えた五代の王様には、暴君と言われた燕山君もいるから、並みの人間では生き延びることはできなかったはずである。
自国に住んでいたので、自国の悪い点も良い点もリアルに見つめていたことは確かだが、中国へは書物や使節で訪問するぐらいしか接点がなかったので観念的なものがたぶんにあるはずだから、幾分、この見方は差し引いて考えた方がいいかもしれない。
成俔の批判は、食にまで及んでいる。
「わが国の人は大食いである。ほんの一時の食事であっても、ほどよくすませることができず、腹一杯に食べて箸を置くことがない。貧しい百姓は富裕な家に米穀を借りても、浪費して節約することを知らないために、いっそう困窮するようになるのである。富裕な人も酒と食事を多く並べ立てて厭きることはない。そのために、もし軍事を起こすことがあれば、食料の輸送に力を半ば以上に費やさなければならない。数里ほども行軍すれば、輜重が道を妨げるのである」「わが国の人は、官職についている人なら、明け方に食べ、朝に食べ、昼に食べ、あるいは時を決めずに集まっては飲んで食べている。下人たちをいじめるように督促して御馳走を持って来るようにいい、わずかでも粗忽があれば叱りつける」
(フリーライター・福嶋由紀夫)