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『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』 (2) 悲劇の国王・宣祖

 第14代王・宣祖(ソンジョ、在位1567~1608年)の時代は、相次ぐ国難に見舞われた激動の時代だった。波乱万丈の人である宣祖は、これがためにドラマで数多く取り上げられている。
 また、この時代、後世に名を残した人物が数多くいる。許浚(医官)、柳成龍、金誠一(以上、文官)、李退渓、李栗谷、姜沆(以上、文官で儒学者)、許蘭雪軒(詩人)、李舜臣(将軍)、休静、松雲大師(以上、高僧)、論介(妓生)、光海君、臨海君(以上、王子)などである。
 宣祖の治世下、最大の国難は豊臣秀吉の朝鮮侵攻であった。戦後、徳川家康が対馬藩を通して、日朝の国交修復と朝鮮通信使の派遣を要請してくる。
 これら乗り越えて、宣祖の治世は41年間も続いた。歴代27人の国王のうち、英祖(在位52年)、粛宗(同46年)、高宗(同44年)に続き4番目に長い統治となった。

 朝鮮王朝で、王の嫡子、嫡孫でない者で、王室の傍系から初めて王位を継承したのが、宣祖である。珍しいことである。彼は中宗の後宮・安氏の生んだ徳興君の三男(中宗の9男)だった。明宗(ミョンジョン)の死後に大統を継承することになる。
 朝鮮王朝最高の儒学者、李退渓(イテゲ、本名:李滉=イファン)の教えを受け、臣下にも恵まれながら朋党政治(現在でいう政争政治)を試みたが、壬辰倭乱を予測できなかったことなどから、名君とは評されていない。
 歴史家のなかには、宣祖に対して「士林を優遇し、国難を乗り切れるほど知略に長けていた」との評価がある一方、日本侵略(秀吉の朝鮮侵略)説があるのに民心を気遣って軍備を整えなかったこと、倭乱の際、援軍を送った中国・明との国境線にある義州まで逃げた上、戦功のある義兵将を逆に処罰したり、名将・李舜臣(イスンシン)を牽制したことなどで、“朝鮮王朝最悪の王”という悪評まである。

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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