続・心霊現象についてのささやかな体験
ある春の日のことを思い出した。先回、ささやかな心霊体験を書いて、思い出したことがある。
記憶のつながりが脳の奥の書庫でどのように収められているかわからないが、一つの事柄を引き出すことで、昔記憶の深層に眠っていた事柄も細い鎖につながったように、記憶の表層に浮かび上がって来た。
本当にささやかな体験ばかりで書くことさえためらわれるのだが、書き留めておかないと、どこか不安な気持ちになるので、申し訳なく思うけれど少しばかりお付き合い願いたい。
それは東北の福島市の郊外に自転車で向かっていた高校3年の私の記憶だった。今から4、50年まえ位になるだろうか。
将来、何になろうかという目標もなく、ただ無気力に過ごしている時代、私にとって一番の楽しみは読書だった(当時は「70年安保」の前後の時代で学生運動が盛んで、三無主義「無関心」「無気力」「無感動」という言葉が流行していて、私たちの世代はその通りの無力感に囚われていた)。
学校の授業にも関心がなく、ただ生きている実感もなく、毎日の時間が通り過ぎていった。大学へ進学するのか、就職するのか、その希望さえなかった。ある意味で、引きこもりのような状態だった。
そんな私が自転車を駆ってある場所に向かっていたのは訳があった。それは私が初めて自分の意思で決めたことを告げにキリスト教の教会に向かっていたのだった。
こう書くと、時系列がわかりにくいので、少し説明すると、私は聖書を学ぶためにしばらく教会に通い、そこで洗礼を受けていたのだった。
それはキリスト教の中でも、異端と呼ばれているモルモン教会で、英語と聖書の講義を受けていた。なぜ人見知りで内向的な私が教会に通うようになったのかといえば、学校の倫理社会の授業で、教師が今後は絶対に西洋文明を理解するためには聖書を読むべきだと力説していたからである。
この教師は、夏目漱石の『坊っちゃん』に出て来る「うらなり」先生のような線の細い感じの教師だったが、大学院出の高学歴のインテリでかなり嘱望されていた。その「うらなり」先生が私の書いた文章を授業中に取り上げて丁寧に批評と感想を述べて褒めてくれたので、単純な私は舞い上がってしまい、この先生の言うことを実践しようと思ったことがある。
ちょうどそのとき、後ろの席に座っていた同級生が英語を学ぶためにモルモン教会に通っていて私を誘ってくれた。この同級生はまったくキリスト教にも聖書にも関心なかったが、アメリカのネイティブの英語が学べるというので、教会に通っていたのだった。
もちろん、英語の講義はボランティアであったが、それにはモルモン教の講義を義務的に受けなければならないという付帯条件があった(今はそうではないかもしれない)。そして、1年以上通っていたので、そろそろ洗礼を受けないかとプレッシャーをかけられていた。
その時は、私はこの同級生が親切心で誘ってくれたものと思っていたが、後に、自分の代わりに私を洗礼の生贄にしようとたくらんでいたことがわかった。いずれにしても、私は自転車をこぎこぎ、市内を流れる阿武隈川に架かる橋を渡り、桑の木畑の続く道を通って教会に通ったことを覚えている。
そこで聖書を学んだと思うのだが、ほとんど記憶にない。ただ、モルモン教の教義の一部を学んだこと覚えている。おそらく当時の教会の宣教師がアメリカ人の大学生で(モルモン教では学生時代に海外宣教を一時従事するという制度があった)、それほど詳しい解説もできなかったのかもしれない。
そこでしばらくたって、私は紆余曲折があって洗礼を受けることになった。その経緯はいろいろあったが、最終的に決断したというか、押し出されるように受けたのは、当時の自分自身がこの洗礼を通じて変われるのではないか、という期待からだった。何事も無気力で無関心だった自分が劇的に変化できるのではないか、というような過剰な思い込みからだったように思う。
特に、キリスト教にふれて自分が回心したということはなかったので、洗礼という儀式が特別なものに思えたからだった。
特に、モルモン教での洗礼は水槽の水の中に一瞬沈められてするというものだったので、そこから聖書的に聖霊体験や劇的な神の啓示があって、自分が細胞のレベルから別な人間(アニメのガンダム的にいえば「ニュータイプ」)になれるのではないか、という期待に胸をふくらませた。
そのときは、3、4人の同じぐらいの年齢の男女が洗礼を受けた。その後、儀式が終わり、各自が洗礼を受けてどのように思ったかの告白タイムになり、各自がそれぞれ感想や決意を述べた。
私は最後だったが、各自の話を聞いていて違和感を覚えた。というのも、ほとんどの人が洗礼によって自分は生まれ変わりました、神様を感じました、イエス様の愛を感じました、というようなことを述べていたからだ。
私は正直に言うと、何も感じなかった。何の啓示も変化も感じられなかった。むしろ変わらないことにがっかりしていたといっていい。そのような心理状態の中で、自分の順番が来たので、どうしようかと迷いながらも正直に自分の気持ちを述べようと思って次のように述べた。
「正直に言うと、洗礼を受けても何も自分が変わったとは感じませんでした。ただ、洗礼を受けたことで、今後どのような人生を歩むかわかりませんが、神様の存在はもう絶対に否定できないということ、してはならないと思いました」
こう述べて座ったら、前に座った男子学生が「実は私も同じことを思っていました」と語ってくれた。
そのような経緯でモルモン教徒になったが、自覚はまったくなかったので、その教義にある食事制限(コーヒー禁止など。飲んでいいのは麦茶)や窮屈な生活規則、礼拝での懺悔、同じ所属教会の信徒同士の恋愛禁止などに音をあげて(何しろ遊びたい盛りの青春時代だった)、半年ももたず、教会を辞めることを告げに、冒頭にあるように自転車のペダルをこぎこぎ教会に向かっていたのだった。
空は晴れていたがやや曇り空で、桜の季節は終わり、風がささやかに吹いていた。ちょうど途中のカトリック系の幼稚園の前を通ったとき、空が一瞬光り、パシッという音がした。次にバサバサと音立てて何かが落下した。
驚いて、自転車を止めると、目の前の道路にスズメが落ちていた。手で触っても抵抗しないが、生きているのは手のひらに感じる皮膚の温かさ、眼をしきりに開閉する姿でわかった。おそらく、電線で感電してしまったのかもしれない。
これは何かの啓示だろうか? 迷ったが、私は胸のポケットにスズメを入れて、再び自転車で教会に向かった。予定通り、私は棄教することを告げ、口論みたいなものもあったけれど、無事?に教会との縁を切った。
帰り道、ふと気づいて胸のポケットからスズメを取り出すと、すでに固く冷たくなっていた(宣教師と口論していたときは生きていた)。何か私のために犠牲になったのかもしれないとふと思ったけれど、私はただ暗くなった空を見上げて呆然としていた。
(フリーライター・福嶋由紀夫)