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『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』 継承すべき、朝鮮通信使の精神とは

 

継承すべき、朝鮮通信使の精神とは

 2017年10月末、通信使のユネスコ世界の記憶(記憶遺産)登録が決まって以来、ゆかりのまちでは慶祝行事を開催し、念願が叶ったことを祝った。朝鮮通信使縁地連絡協議会はユネスコ部会をつくり、通信使に関する資料を後世に残すための、ハード面に力を入れた作業に入っている。
 記憶遺産登録のコンセプトは、「平和の使節」である。通信使が往来した200年間に日朝間、東アジアに平和をもたらしたという点が受け入れられた。
 辛基秀(シンギス)先生をはじめ在日の研究者が掘り起こした通信使は、明るい未来へとつながる歴史遺産である。現代に活用できる要素を幾つも持っている。これを生かすかどうかは、通信使の精神をいかに伝えるか、その努力にかかっている。
 では、後世に伝えるべき通信使の精神とは何か。これが「江戸時代の朝鮮通信使の今日的意義」である。これについて、次の5項目をあげたい。

① 平和維持へ、国のトップが信義交わす

 江戸時代200年間、平和が維持された。通信使は「信(まこと)」を「通わす」使節というように、当時、国のトップである朝鮮国王と日本の将軍が親書(国書)を交わしたことは、平和維持のために大きな下支えとなった。
 通信使を友好使節というが、それは結果論。朝鮮王朝は秀吉の朝鮮侵略の後、日本に反省をうながす楔(くさび)をうつ狙いから、当初、使節の名称を回答兼刷還使とした。外交使節として、威厳ある、厳しい姿勢で臨んだ。

② 市民意識を変え、成熟させる

 通信使往来には、日朝に思惑があった。「文」の国・朝鮮王朝は儒学思想で、野蛮な「国」日本を教え導きたい思惑を抱く。徳川幕府は天下統一後、支配体制強化に利用したいという思惑があった。その両国の思惑も、通信使を熱烈歓迎する日本の民衆によって見事なまでに払われた。元祖韓流ともいえるブーム。これが表面的でなかったことは、儒学(イテゲ)、医学(ホジュン)の問答などからも知ることができる。

③ 「つなぐ」の精神で、誤解・誤解を解く

 朝鮮では、日本認識を変える上で、通信使行員たちからの伝聞や、彼らの残した日本使行録などが効果的だった。それを役立てたのは一部の知識人(実学者)で、彼らは感情的な敵愾心や華夷観から脱皮して日本を見詰め直し、文化的に発展する日本に対する関心を深め、多数の著作を残した。
 例えば、李瀷(イイク、1681~1763)。朝鮮王朝において、当時の朝鮮知識人の日本への無関心や固定観念から脱して、日本の幅広い分野に関心を持ち、日本社会の実相や変化に注意した。日本の技術の優秀さを認め、立ち遅れている朝鮮の技術を批判した。また、日本の武器の製造技術が進んでいることを評価した。朝鮮の技術が衰退したのは、技術を軽蔑する意識と制度のお粗末さからだと指摘する。
 日本でも、木村兼葭堂など大坂の町人学者の間で、朝鮮に親しみを感じる人たちが多く見られた。
 通信使の往来によって、相互の偏見や誤解が正され、日朝友好の輪が広がっていく。

④ 善隣友好・文化交流に寄与

 18世紀後半、日本は文化文政期の繁栄に象徴されるように、文化、商工業が発達し、朝鮮通信使の一行も、驚きを隠せないほどであった。1764年に来日した通信使・正使の趙曮(チョウム)は救荒作物サツマイモを朝鮮に持ち帰って広めたことで知られる。サツマイモを、対馬では「孝行芋」といっていたが、これが訛って朝鮮では「コグマ」となった。
 さらに趙曮は水車、舟橋、臼、堤防工事など日本の優れた技術を持ち帰った。朝鮮の実学者も、これに同調した。
 来日の度に、朝鮮通信使の客館を、儒学者、画家、医師など各界の人たちが訪ね、意見を交わし、技の交換を行った。これを通じて友情が芽生えている。
 異国の使節に感動した商人は、故郷に通信使の種をまいた。三重県分部町や東玉垣町の唐人踊り、川越の唐人揃いなどは、通信使を真似て生まれた。

⑤ 誠信の交わり

 対馬藩の外交官・雨森芳洲(1668~1755)の著作の中で、最も評価されているのは、『交隣提醒(こうりんていせい)』であろう。61歳のとき、対馬藩主に対朝鮮外交の心構えを説いたものである。その中に、今日にも通じる、次のような言葉がある。
 「互いに欺かず争わず真実を以て交わり候を誠信とは申し候」
 意味するところは、互いに「欺かず争わず」「誠信」の基本精神にたって、交際・交流を行わなければならない、行き詰ってしまうということである。
 長年、朝鮮外交にかかわった体験から、自ずとにじみ出た芳洲の言葉である。この言葉は、“日韓の懸け橋”として交流を進める上で、大切な基本理念といえる。

 

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【転載】『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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