(5) 三重
地域の「宝」をつくる
地域の伝統芸能を継承することは大変なことである。それを東玉垣町(三重県鈴鹿市)で実践している方がいる、和田佐喜男さんである。昭和を境に一時途絶えていた唐人おどりを再び興した。この踊りは、江戸時代に計12回来日した朝鮮通信使から取り入れた踊りである。朝鮮通信使研究家である辛基秀氏との出会いで、和田さんの人生は大きく変わった。
和田さんには、疑問があった。そもそも牛頭天王社の春祭りで、奉納される唐人おどりとは何に由来するのか、である。変な服装で踊る舞と唄は何か。その謎を解いたのが、辛基秀氏だった。
江戸時代の朝鮮通信使に由来している、と聞いた和田さんは保存会をつくり、異国情緒あふれる踊りの復興に乗り出す。
その長い取り組みをまとめたのが、『郷土芸能「唐人おどり」伝承の秘訣』である。和田さんは弟さん、奥さん、息子さん、お孫さんに応援されて、踊りを春を告げる地域の風物詩として定着させた。
朝鮮通信使のゆかりのまち全国大会で、何度かお会いしたが、地域を大事にする温かい気持ちが伝わって来る。「唐人おどりのとき、きっと、きっと遊びにきてよ」と声を掛けられた。
朝鮮通信使を「韓流の源流」といったのは、辛基秀氏である。その通りであろう。日本に朝鮮ブームを巻き起こし、通過してない地域にまで、踊りを伝えている。伝えたのは、三都で通信使行列や踊りを見た地元出身の商人。「これは面白い」と地域に持ち帰り再現させたのである。
このような踊りや行列がほかにもある、三重県津市分部町の唐人踊りであり、埼玉県川越市の唐人揃いである。朝鮮ブームにあやかり、通信使を模して地域の宝をつくりだし、定着させた のである。
「ひとつのものを必死に追いかけていると、あとから必ず人がついてきてくれる」
和田さんの言葉である。本のなかに記されていた。実感のこもった言葉である。それだけ、長年、唐人おどりに打ち込んできた証しである。
家族と、地域の人とつないで45年。「その熱意に感謝したい」と和田さんは話すが、地域に伝承する心や情熱を伝えたのは和田さんである。
翻って、地域の宝とは、和田さんのような人をいうのであろう。
【転載】『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)