新型コロナウイルスの感染拡大は、とどまることを知らない状況だ。
毎日の新聞、テレビ報道、見るもの聞くものすべてが新型コロナウイルスで染められているほど。
いつ終息するか、予測もつかず、緊急事態宣言以来、繁華街の渋谷や新宿でも、人の姿が少なくなっている。
飲食店の客の激減で、閉店倒産なども増え、ゴーストタウンと化したと思ってしまう。
ただ家で手を拱いている状態。誰がこうした事態を予想しただろうか。
まだ、必需品のマスクもなかなか手に入れられず、スーパーでもコンビニでも、マスクを見かけることはない(改善される傾向にあるとはいうが、この執筆時点ではまだそこまでいっていない)。
もちろん、これは日本だけの状況ではなく、世界的な危機的状況であり、経済への打撃、社会不安、さまざまな影響を与えている。
テレビを見ても、ドラマの収録の取りやめ、ニュース番組でも、専門家や評論家が濃厚接触を避けて画像を通じてバーチャルで参加し、どこか異様な風景を呈示している。
仕事も基本的にテレワークが推奨され、電車に乗っても、かなりガラガラで、何か大災害でも遭ったかのように静かである。
もちろん、それがすべてではないが、あらゆる分野に、新型コロナウイルスは被害を及ぼし、それはまさに武器で戦わない見えない戦争、第三次世界大戦のような様相を帯びているといっていい。
戦争というと、武器で戦うというイメージだが、病原菌による戦争も多大な影響と時代を変革するという点からみれば共通するものがある。
これまでも、歴史上、多くの最近やウイルスによる人類への侵略があったことはよく知られている。
コレラやペストは、その代表的なものだが、特にペストでは、14世紀に当時の世界人口4億5000万人の22%の1億人が亡くなったと言われている。
当時の世界の人口のうち、多くが死亡したことは、世界秩序がそれによって大きく変わらざるを得なかったことを意味する。
当時は、現代のような科学技術や医学が発達していなかったので、その流行を食い止める方法を知らず、防疫・衛生観念もなかった。
人々は、ただ恐れ、その災害から身を逃れるために、流行の地域・都市部から逃げ出した。
そして、富裕層や貴族は、人のあまりいない郊外で生活の拠点を移して、そこで、ひとつの治外法権的な安全圏を形成した。
そのことによって固定されていた社会秩序がペストによって崩壊し、新たな社会体制への移行を生み出した。
ペストが社会体制や経済体制の変化を促し、大きく政治体制の変化をもたらし、近代化への道を開いた。
ひとつの秩序を構成している最小単位は、人間であり、その人間が疫病によって減少すれば、それは既成の社会構成の秩序を崩壊をもたらすということでは、戦争も疫病も同じ作用をもたらすということでは変わらない。
疫病との戦いの歴史は、もうひとつの戦争であったのだ。
かつての人々は、このようにペストに無力だったのだが、それ以来、科学の発達・医学の発展と知識の進展によって、人類は疫病については多くの治療薬を発見し、その撲滅を果たしてきた。
肺結核や天然痘などは、かつては死病とまで恐れられたが、現代では治療方法も確立され、死病というイメージはない。
だが、こうした人類への疫病への戦いは、必ずしも人類側の一方的な勝利では終わらず、ひとつの疫病に勝利すれば、その次には新たな疫病が生まれ、それが人類への脅威となって、文明を脅かすという繰り返しとなっている。
結核や天然痘に続くのがインフルエンザ、エイズ、エボラ出血熱、そして、現在の新型コロナウイルスである。
特に、新型コロナウイルスは、感染力の驚くべきスピードと拡散力で、地域的な風土病などには及びもつかない全地球的なペストのような疫病となっている。
まだその結末の未来は見えていないが、現在の世界秩序の大きな亀裂や変革のきっかけになるような流動的な政治情勢を生んでいる。
現在、その新型コロナウイルスの蔓延の最中であり、それを防ぐためには、接触をしない、人混みに行かない、家で過ごすというようなシンプルで原始的ともいえる方法しか決定的な対処法はない。
この方法は新型コロナウイルスの感染拡大に対しては、一定の効果があることは間違いないが、それによって、世界の経済、政治などの現在の予定調和的事態を大きく変化させる可能性がある。
実際、世界の景気は沈滞し、格差社会の問題、民族問題、種族問題などの紛争案件に火を投げ入れ、アメリカやヨーロッパ、ロシア、中国などの大国の角逐の激化、多民族国家内の民族紛争を再燃させるものとなりかねない状況だ。
アメリカを中心とした民主主義国家、ヨーロッパ、社会主義・共産主義的なの中国やロシア、北朝鮮などの対立と併存状態が、この新型コロナウイルスによって、その暫定的な政治的な妥協によって生まれた世界平和という秩序が大きく崩されて、本当の武器を取っての戦争へと移行しないとは断定できない。
危うい均衡の上に立つ世界秩序が、新型コロナウイルスによって、もろくも崩されてしまうかもしれない危機をわれわれは迎えているのだ。
改めて、われわれは、この世界的な危機を直視して、どのような姿勢をもたなければならないのかということが問われている。
それが個人における意識の変革を促すものになるのかどうか(人に感染を拡大しないためのテレワークや必要最小限の外出などの倫理的な行動)、そのことによって、社会意識、宗教意識、倫理意識などの変化が生まれるのか、それは誰にもわからないが、少なくとも、自分だけが良ければいいという個人主義が変わらなければならないことだけは間違いないだろう。
なぜ疫病が無くならないのか。
それは、永遠にわからない謎のようなものだが、ただ言えることは、人類が文明化し発展させることを通じて、自然の秩序を破壊し、環境汚染を続けて来た現代の人類の意識が大きく変わらなければならないということ。
新型コロナウイルスにしもてその他の疫病にしても、自然環境を破壊し、動植物の均衡した調和を崩した結果、動物の保菌していたウイルスが人間に感染したという事実を考えれば、われわれが何をすべきかは、おのずと理解されるのではないだろうか。
(フリーライター・福嶋由紀夫)