72年前の1942年2月3日、山口県宇部市の長生炭鉱(1932年創業)の海底に延びた坑道約1km先の沖合いで水没事故が起こり、延べ183人の抗夫が犠牲となり、そのうち137人が慶尚道、全羅道出身の朝鮮人労働者でした。彼らの霊を慰めようと第11連合山口県本部は毎年、山口宇部長生炭鉱慰霊祭を執り行い、今年は2月7日に現場追悼碑で行われ、23人が参加しました。
慰霊祭は、韓昱洙第11連合会会長と朴幸子山口県本部会長の挨拶、杉山良一山口県宇部支部顧問による祈りに始まり、祭祀が執り行われ、終了後、供え物が海に放たれ、空を舞うカモメたちの泣き声が胸に染み入ります。
長生炭鉱の水非常の歴史に刻む会のホームページ資料によれば、「当時の日本は、朝鮮半島を植民地とし、国内各地に朝鮮人労働者を連れてきて危険な労働に従事させていました。石炭を主要産業としていた宇部も例外ではなく、当時の資料によると、長生炭鉱では1939年から事故までの間に、宇部最多の1258名が強制連行されていました」と説明されています。現在もなお、海の上に見えるコンクリートの空気注入パイプの下周辺にその遺体が黒い石炭と共にそのまま眠っています。
主催した尹致重事務局長は「このような悲劇を繰り返さないためには、隣人や近所の人、国と国とが真の愛でひとつにならなければならない」と感想を述べ、真なる平和世界に思いをはせていました。