「私の心の壁を越えて始まった平和統一の経験」            石橋奈津予  私が初めて韓国と向き合ったのは、中学校の時知り合ったお友達がきっかけでした。  彼女はお父さんは日本人でお母さんが韓国人でした。  両親の世代と違って、私たちの世代は「冬のソナタ」以降、爆発的な韓国ブームが来て、少女時代などのK-Popが流行り、もはや韓国は偏見の対象ではなく、一番身近な外国であり、むしろ憧れの国でした。  しかし、それはまだ日本人の感覚で、日本に住む韓国人にしてみれば、やはり韓国に対する偏見は根強く残っていて葛藤したようです。  友人のお母さんは、あまり日本語が得意でなかったので、一生懸命話せば話すほど韓国アクセントが目立ち、そのことで笑われたり、文化の違いでお母さんのことを理解しない周囲の人がいたりと、子供として、複雑な思いをたくさんしたとの事でした。  友人自身は日本で生まれ、日本で育ったので、むしろ韓国語が得意ではなく、親子の意思疎通は簡単ではありませんでした。  しかしある時、友人が一代決心をして当時大流行していたテレビの韓国ドラマを見ながら、すごい勢いで韓国語を短期間で習得しました。そして、その後彼女自身がとても変わり、自信を持って生き生きとしたのを目撃しました。  それで、私も韓国語に興味を持ち、K-Popにはまり、友人に手伝ってもらいながら、気がつくと、韓ドラも見ていて、韓国の歌もよく歌うようになり、二人で盛り上がりました。  そしてさらに、その人間関係が広がって、別の帰国子女の韓国日本ハーフの友人ができたのですが、彼女は結構大きくなって日本に来たので、日本語があまりできず、私が日本語を教え、彼女が韓国語を教えてくれる関係となりました。  また、コロナの前にはしょっちゅう韓国に行く機会があり、おいしい韓国料理とK-Pop、独特の韓国の雰囲気が好きで、すっかり韓国オタクとなり、気がつくといつの間にか話すこともできるようになっていました。  それから十年たち、私も結婚し、先日夫婦でオーストラリアにワーキングホリデーで1年間行ってきました。  円安の今、ワーキングホリデーでたくさんの日本人がオーストラリアに来ていまして、仕事を見つけるのが難しい状況です。ところが幸いなことに、韓国企業の方ではまだ求人があり、韓国語が話せたお陰で、とても良い仕事に就くことができました。  その中で、たくさんの出会いがあったのですが、一人北朝鮮から脱北した友達ができました。彼は両親を政府によって殺され、どこに行ってもスパイ扱いされ、心を許せる友人も結婚相手もいなくて孤独でした。我々夫婦と仲良くなり、私たちは彼を理解しようと一生懸命努力しましたが、彼は、我々を試すように様々な問題行動や発言をし、そのたびに私たちは様々な心情を通過しました。ジェットコースターのような日々でした。  簡単ではなく何度も信じられないし、くじけそうな気持ちになったのですが、しかし、そういったことを通して、北朝鮮の現実や闇を実感することができました。  そして最後に、やっと少し彼が心を開くようになったのです。実際は、やっと我々が彼を理解し始めただけなのかもしれません。  世界平和と言うことを考えたとき、お互いが理解し合うということが大前提ですが、そのためにも、時間が必要だと考えます。そして、その前に何よりも意思疎通やコミュニケーションがとても重要で、そうすると言葉と言う問題が出てくると思います。  夫婦とも韓国企業に就職したため、オーストラリアに一年間行って、英語よりも韓国語の能力が爆発的に伸び、大切な友人との出会いもありました。この友人とは、これから一生かけて付き合っていこうと思います。  そして、日本に帰っても、韓国語を通して、日本にいる在日の方や韓国ルーツの方々と積極的に関わり、韓日日韓の友好関係、ひいては平和統一、世界平和に貢献していこうと思います。